


No.33「幸せのかたち」


「わんわんし！わんわんし！」
犬のような、たぬきのような鳴き声が、公園内にこだましています。
ジャージー姿の中年の女性が手にしたリードの先には、首輪をつけたたぬき。
首輪にリードまでなら飼いたぬきによくある格好でしたが、
なんと、このたぬきはさらに這いつくばって四足歩行で移動していたのでした。
ふさふさの大きなしっぽを左右に振り、ご機嫌な様子が伺えます。
「うわ、なんだしあいつ…」
「まるでもどきみたいだし…」
公園に住む野良たぬき達は、心底軽蔑した様子で、犬のようなたぬきを見ていました。
「何であんなことをするんだし…？ちび、見に行くし…」
「ｷｭｯｷｭ…まま、まってしー」
「ｷｭｳﾝ…ｷｭｳﾝ…」
親1人子2人の野良たぬき親子は、風変わりなたぬきが気になって、つい追いかけていってしまいました。


しばらくついていくと、散歩を終えたらしく、人間と犬たぬきは立派な一軒家に入っていきます。
家の外周を囲む茂みに頭から突っ込み、様子を探りました。
しっぽを抱え、犬小屋の中で丸まっていた犬たぬきを見つけると、野良たぬきは話しかける事にしました。
「どうして犬のフリしてるし…たぬきとしてのプライドないし…？」
「まま、あのたぬきへんだし！」
「ｷｭｷｭｳ？」
子供達も犬のフリをしている同族は流石におかしいと感じるのか、子供ならではの無遠慮さで言いたい放題でした。
下の子さえ、鳴き声を訳すと“あたまおかしいし？”と言っています。
「何と言われようと、別にいいし…」
犬たぬきは、めんどくさそうに答えました。


「ご飯は毎朝昼晩もらえるし、散歩だって毎日連れていってくれるし、お風呂もたまに入れてもらえるし…」
「え…結構いい生活してるし…？」
「まま、おふろってなんだし？」
馬鹿にしてやろうと意気込んでいた親たぬきは、生活レベルの違いを聞かされ、手痛い反撃を喰らった気分になりました。
どちらかというとお風呂も知らない我が子が憐れになり、静かに遊んでるし、と家主に見つからないよう大人しくさせます。


「そうだし…野良たぬきにはあり得ない、陽だまりのようなあたたかい生活だし…」
現在進行形でつらい生活を送っている野良たぬきは、犬たぬきへの興味の方向が変わって来ました。
興味が無い子供達は飽きたのか、茂みから敷地内へと抜け出して庭のちょうちょを追いかけています。

「犬になってどれぐらいになるんだし…？」
「もう冬が8回ぐらいきたし…」
「すごいし…わたしはまだ2回しか来てないし…こないだの冬にちびが1人死んじゃったし…いっしょけんめい抱っこしてたのに朝起きたら冷たくなってたし…」
「それは残念し…わたしは台風が来たり寒くなったらおうちに入れてもらうし…」
「ふゆっておいしいし？」
涎を垂らして虫を追いかけ回している下の子と違い、無理に話に入ってこようとする上の子に、
いいからチビはあっちで遊んでるし、と若干の疎ましさを覚えながら、野良たぬきは犬たぬきに話の続きを促しました。
「何でそんなことになったか教えてほしいし…」
単純な好奇心でした。どう考えても、たぬきが犬をやっているのはおかしく、そうなるまでの経緯が気になって、このままでは眠れそうにありません。


「ある日のことだし…」
犬たぬきは遠い目をして語り始めました。
元々この小屋は、“ルドルフ”という犬のものだったし。
「もしかして殺して成り代わったし…！？」
声を荒げる野良たぬきに、回想に入るのを邪魔された犬たぬきは心底めんどくさそうに答えました。
「静かにするし…出来るわけないし…頭たぬきかし…」
「その通りたぬきだし…」
野良たぬきはションボリして、黙り込みます。
犬たぬきは気を取り直して、再び語り始めました。

ルドルフは、なんかシュッとした犬だし…。
公園に毎日、“としくん”ていう人間の男の子と散歩に来てたし…。
たぬきはいつも陰から見てたから、としくんとルドルフが仲良かったの知ってるし…。
たぬきと犬が違うのはわかってたけど、ちょっとだけ、羨ましかったし…。


「ルドルフは公園でおさんぽ中に出会ったら、いつもたぬきを舐めてくれたし…友好の証として甘噛みもしてくれたし…ほら見るし…」
そういって見せた後頭部に走っていたのは、牙のような鋭い何かに抉られた痛々しい痕でした。
「歯形残ってるし…！？ガッツリいかれてるし…！」
多分餌としてしか見られていない。
野良たぬきでもわかる程に明らかでしたが、
犬たぬきは構わず、話を続けました。


ある日、たぬきが公園で餌を探してうろうろしていると。
丸いクッキー缶みたいな容れ物を両手でぎゅっと抱いて、としくんが母親と歩いていました。
ここに来る時はいつも一緒のはずの、犬のルドルフが見当たりません。
としくんは俯いて、唇をきつく結んでいました。
泣き出すのを我慢しているように見えましたが、涙は玉のように溢れそうでした。
この件に関しての部外たぬである、たぬきにもわかりました。
ルドルフは、としくんの元から旅立ってしまったのでしょう。
「としくん…」
男の子を案じる気持ちと、犬を悼む気持ち。仲の良い1人と1匹の散歩を陰から眺めるのが好きだったこのたぬきは、一世一代の賭けに出ました。
意を決して、モチモチとした両手をぐっと握りしめます。
そして。
「わんわんし！わんわんし！」
たぬきなりに犬の真似をして、2人の前に飛び出したのです。


「えっ…何このたぬき…」
突然飛び出してきた初対面のたぬきに、母親気味悪がりましたが、
「たぬきは…犬をやれますし！わんわんし！」
としくんを元気づけるために、たぬきは犬真似をする事を厭いませんでした。
「たぬきが、ルドルフの代わりをやりますし！」
両手を突いてしゃがみ込み、四つん這いで犬のポーズを取ります。
しっぽを振り、必死になってアピールした結果、としくんは涙を拭い、少し笑いました。この顔見知りのたぬきが、自分のためにやってくれているという事は、少年にも理解が及びました。
「へへ…お前、何やってんだよ。たぬきが犬なんて…出来るわけないじゃん…！」
「やれますし！たぬきは、としくんのためにルドルフの代わりをやれますし！わんわんし！」
母親はたぬきを犬として飼うなど心の中では反対でしたが、息子が立ち直るならば受け入れる事を決めたと、そしてその選択は正解だったわと後に犬たぬきに語ったといいます。
ここから、たぬきと“としくん”の友情の日々が始まったんだしーーー。


「じゃあお前…今日から“ポチ”な」
「えっ…るどるふじゃダメし？」
「よろしくな、ポチ！お手！」
「るど…」
「ポチ！お手！」
「わんし…」
こうして晴れて“ポチ”となった犬たぬきは、ぽふ、とモチモチした手を、差し出された少年の掌の上に乗せました。
それからポチは、たぬきである事を捨て、犬として振る舞う事になりました。


「ポチ、お前何やってんだ！犬は四足で歩くんだぞ！」
「え…でもポチはたぬき…」
「お手！」
「わんし…」
「犬だろ？おまえ」
「わんわんし…」


「服は…服は勘弁してくださいし…」
「えー、でもお前犬じゃん…」
「犬だって服着てるし…というか全裸のたぬきを首輪つないで散歩してるとしくんは絵面がやばいし…」
「そっか。じゃあそのままな！」
「ほっ、し…」


「ほら、フリスビーとってこい！」
「わんわんし！」
たぬきは犬であり続けるうちに、たぬきとは思えない身体能力を発揮していたし…。
ジャンプとか今までなら絶対できないことだし…。
犬たぬきは、感慨深げに続けます。


「うう…ルドルフ…」
としくんは時々、わたしとの生活の中でルドルフとの日々を重ねて、思い出し泣きをしてしまうこともあったし…わたしがそばに居て、としくんのほっぺを前足でモチモチして励ましたし…。
「としくん…寂しかったらたぬきを、るどるふって呼んでもいいし…」
「いやお前はポチ…」
「たぬきも泣きたいし…」
「だからお前はポチ…」
「…ポチも泣きたいし…わんし…」


「としくん…ポチは今、うどんダンス踊りたいし…ダメし？」
「ポチは犬だろ？犬がダンス踊ったら変じゃない？」
「でもでもし、踊れなかったら死んじゃうかもしれないし…」
「うう…さよならポチ…」
「うそうそごめんし！がまんするし！わんわんし！」


「想い出に浸ってるところ悪いけど、結構ロクでもなくないかし？」
野良たぬきは冷静に突っ込みました。



「としくんを元気づけたい心と、飼われれば楽に生活できる心…わたしには心がふたつあったし…」
「いい話かと思ってたら打算的だったし…？」
「でも、としくんは“ちゅうがく”に上がってからあんまり遊んでくれなくなったし… 」
犬たぬきは、寂しそうにションボリしました。
そういえば、さっき散歩に連れて行っていたのも中年の女性でした。
「としくんもう居ないし…？」
「としくんは…今では“だいがく”に行ってるからたまにしか帰ってこないし…」
犬たぬきは遠い目で空を見て語りますが、どうやら元気なようでした。
「だから今はママさんかパパさんが散歩連れてってくれるし…2人ともやさしいし…」
「そうなんだし…」
野良たぬきは経緯はともかくとして、犬たぬきの生活に憧れを抱き始めていました。
ちょっといいかもしれない、と思い始めてすらいました。



野良たぬきの心境の変化に水を差すように、犬たぬきは言いました。
「結構ロクでもないしって言ってたけど、その通りだし…」
犬たぬきは自分の尻尾を枕にしながら、水を差されて戸惑う野良たぬきを見据えて続けます。
「うどんダンスも一生踊れないし、たぬき仲間からは冷たい目で見られるし…」
お前もそうだろし？と言いたげな目で、しかしそれ以上は言葉にはせず、犬たぬきはじっと野良たぬきを見つめました。
面白半分で後をつけた野良たぬきは、何も言い返せません。
「悪いことは言わないし…元の場所に帰るし…」
あくまで特殊な成功例であり、誰もが同じようになれるわけではないと、釘を刺しました。


「そろそろママさんが来る頃だし…見つかってどうなっても知らんし…」
「じゃ、今日は帰るし…」
「もう来んなし…」
犬たぬきの忠告から、野良の本能が微かな身の危険を感じて、野良たぬきはチビ達を連れて敷地内から立ち去りました。
しかし、まだ未練を消し去る事は出来ず、茂みに穴を開けて庭を覗き込みました。


「ポチ〜、ごはんの時間よ〜」
ドアが開いて、中年の女性が犬たぬきに声をかけます。
しっぽを抱いて伏せていた犬たぬきは、がばっと起き上がり、しっぽをちぎれんばかりに大きく振りました。
「ありがとし！ママさん！わんわんし！」
人間相手に出す時の声のトーンが全然違う。野良たぬきは再びドン引きしました。
犬用の皿に盛られたカリカリした食べ物を、
「わんわんし！おいしいし！わんわんし！おいしいし！」
と幸せそうにがっついた後には、
「ママさん！撫でてほしいし！ポチはお腹を撫でてほしいし！わんわんしー！」
「はいはい。ポチは“とし”と違って、いつまでも甘えん坊さんねぇ」
仰向けにジタバタする犬たぬきのお腹を、ママさんと呼ばれた女性が撫で回す光景を見て、野良たぬきは帰る事にしました。
そろそろ餌を探しに行かなければ。
野良生活は常に不安定で、少しでもサボればその日のご飯にはありつけない。
あんな、ぬくぬくと寝てたらご飯が出てくるなんて夢のまた夢だし。



「あんなに簡単に触られて、たぬきとしてのプライドほんとないし！はーぁ情けないし！」
帰り道。チビ達を連れて、野良たぬきは声を荒げていました。
「ままー、まってしー…」
「ｷｭｷｭｰｳ…ｷｭｳﾝｰ」
誰に聞こえるように言っているのか、自分でもわからぬままに野良たぬきは憤慨していました。
野良たぬきは不意にぴた、と立ち止まります。
チビたぬき達が反応できずにぶつかってきて「ｷﾞｭｳ…」と鳴き声を漏らしました。
「けど…ちょっとぐらいなら、触ってほしいし…」
生まれた頃から鼻つまみ者の野良たぬきとしては、たとえ犬としてでも可愛がられている姿を見ると少々、いやかなり羨ましく感じられていました。



犬たぬきにあんなに優しく接してくれている人間なら。
自分達も同じように、可愛がってくれるかもしれない。
このちび達だって、もしかしたら。
「むにゃ…おなかすいたし…まま…」
「ｽﾋﾟｭｰ…ｽﾋﾟｭｰ…さむいし…」
腕枕に頭を預けながら横向けに寝て、小さなたぬき玉を交互に撫でながら、野良たぬきは徒然と考えていました。
この子達は、ぜったい冬を越させてあげたいんだし。


翌日、野良たぬきは再び犬たぬきの元を訪れました。
ちょうど、中年の女性が庭の花にホースで水やりをしている所のようでした。
野良たぬきは今度は正門から身を乗り出し、姿を見せます。
「あ、あの…ママさ…」
勇気を出して、野良たぬきは“ママさん”に話しかけようとしましたが、
「きゃっ！野良たぬき！しっしっ！どっか行って！」
「まっ、はなっ、聞いっがぼぼ…」
「ｷｭｩｩｰｯ！つめたいしぃ！」
「しっぽぬれちゃうし！やだしー！」
家に侵入しようとしていると誤解されて、ジタバタする間もなく、野良たぬき親子は勢いよく噴出するホースの水で追い払われます。
しっぽどころか全身ずぶ濡れにされて、トボトボと歩いて帰る羽目になりました。
一瞬、こちらと目があった犬たぬきは知らん顔して小屋の中で寝ています。
この水みたいに、冷たいやつだし。
野良たぬきはガッカリしました。


全身びしょ濡れでションボリしながら、野良たぬき親子は路地裏をトボトボと歩きます。
その日は曇りで陽が差さないため、狭所を吹き抜けていく風が野良たぬき達を全身くまなく冷やしました。
「ｸﾁｭﾝ…ｸﾁｭﾝｯ！」
ぶるぶると震え、服を掴んでくる小さいちびはくしゃみが止まらず、つらそうでした。
「ちび…大丈夫かし…？」
「ままー、しっぽ濡れたしー…かわかしてしー…」
もう1匹のちびも親の袖を引っ張り、しっぽの水を絞って欲しいとせがんできます。
火を起こせない野良たぬき達は巣に帰り、新聞紙とダンボールに包まって親子で身を寄せ合う事しか、耐える方法を持ち合わせていませんでした。



次の日。
少し体調の悪そうなちび達を引き連れて、野良の親たぬきは何を置いてもまずは犬たぬきの昨日の態度に文句を言ってやろうとしたら朝は居ませんでした。
ちび達はまだ調子が悪そうですが、置いていくわけにはいきませんし、ひとこと言ってやらねば気が済みそうにありません。
フラフラするちび達の手を引きながら昼を過ぎてからもう一度来訪してみたら。
犬たぬきも、なんだか元気がありません。
ちょっとだけ心配になって、野良たぬきは尋ねました。
「涙目だし…どしたんだし…？」
「今日は“ちゅうしゃ”の日だったし…痛かったし…ｸｩﾝ…」…
ヒトの前以外では無気力な犬たぬきが、
珍しく感情をあらわにしていました。
なぜそんな風になっているのか、野良たぬきは気になって質問を重ねます。
「“ちゅうしゃ”ってなんだし…？」
「こう…先の尖った針を腕に刺されるし…」
想像し、ジタバタしそうになるのを堪えながら、野良たぬきは必死に嘲笑いました。
やっと、犬たぬきを真っ向から馬鹿に出来る時が来たし！と嬉しくなりました。
「虐待されてるし！ざまみろし！」
「違うし…たぬきが病気にかからないために必要な事だし…」
「ふん、し…病気なんて、たぬきは平気だし…！」
「たぬきはそうかもしれないけれど…」


犬たぬきの視線は、野良たぬきの後ろでブルブルと震えるちびたぬき達に注がれています。
顔は明らかに真っ青で、鼻水が止まらず垂れ続けています。
呼吸も弱々しく、必死に親の服やしっぽを掴んで、ようやく立っているといった様子でした。
多分長くないと思うし…と犬たぬきは判断を下しました。
けれど、強がって憎まれ口を叩いてくる野良たぬきにそこまで言ってやる義理もないので、結局は素知らぬふりをして犬小屋の中で丸くなったのでした。


その夜、巣に連れ帰ったちびたぬき達は病気にかかって死んでしまいました。

犬たぬきの事に気を取られすぎていた親たぬきが、我が子の体調不良と向き合ったのは、もう手遅れに近い状態の頃で。
ホースの水で全身びしょ濡れになった後、満足に乾かせなかったのが原因ですが、丈夫な自分を基準にして、多少は問題ないと高を括っていたのがそもそも間違いでした。
ちび達は食欲をなくし、水を飲ませてやってもゲーゲーと吐いてしまいます。
先に身体の小さい下の子が力尽き、上の子も高熱にうなされ続けて汗が止まりません。
燃えるように熱いのに、やたらと震えている身体を抱きしめてやる事しか、親たぬきには出来ませんでした。
思い返せば、犬たぬきの事を気にするばかりで、最近はちび達に構ってやれていませんでした。
はじめは、ちび達に安定した生活を送らせてやりたい親心のはずでした。
話を聞いているうちに、親心より興味が勝った結果がこんな事になってしまうなんて。

あまりに連日、顔を出し続けるので、
“これやるから今日はもう帰れし…”
と押し付けられた犬用のごはんをちび達が食べたいとせがんできた時も、
“だめだし…これはいざという時に取っておくし…”
などと言い聞かせて我慢させてきた事を、親たぬきは後悔しました。
犬たぬきからすれば、手遅れだとしてもせめて栄養のあるものを、という親切心からでした。
まだ食欲のあるさっきまでが、まさにいざという時だったのです。
「食べられるうちに、食べさせてあげればよかったし…」


夜通しの看病も虚しく、いつの間にか意識を失っていた親たぬきが目を覚ました時。
どちらのちびたぬきも、腕の中で冷たくなっていました。
前の冬と同じだしーーーあの時も、こうやってちびが死んじゃったんだし。
野良のたぬきはあまりにも無力だし…！
親たぬきは、泣き腫らした目の周りをぐしぐしとこすり、ちび達の亡骸を近くにある林の木の根元に埋めました。
この木はたぬ木じゃないけれど、いつかここでリポップしてほしいし。
そしたらまた、親子いっしょだし。
願いを込めて両手を合わせた後、親たぬきはいつものように犬たぬきの元へ向かいました。


「うちのちび死んじゃったし…熱が下がらなくて、ご飯も食べられずに戻しちゃったし…」
「そうかし…」
とだけ短く答えて、犬たぬきはやっぱり、と予想通りの結果をつまらなさそうに受け止めていました。
犬たぬきの淡白な反応に落ち込みようをさらに深くして、野良たぬきはぽつりと尋ねました。
「もしも…ちびが“ちゅうしゃ”を受けられていたら、死ななかったんだし？」
「それはわからないし…」
この場にいる誰にも、その答えを出すことはできません。
だって、狂犬病の注射だったので、獣医は首を傾げながら行ないましたし、たぬきには意味がありませんでしたよ。


1匹きりになってしまった野良たぬきは、これまで以上に犬たぬきの元へ通い詰めました。
犬たぬきに話を聞きに行く姿を度々見られていたので、公園の野良仲間からは既に爪弾きにされています。
可愛がっていたちびも失ってしまったので、もはや心の拠り所は犬たぬきしかありません。
犬たぬきの方はというと、特に何かするわけでもなく、いつ行っても気だるそうに日向ぼっこです。
野良たぬきは、自分から行動するしかないと思い始めました。


「あの、し…」
野良たぬきはこれまでの自分の態度を恥じるように、おずおずと切り出しました。
「としくんがいないなら…ママさんかパパさんにお願いして、わたしも犬として飼ってもらえないか一緒に言ってし…」
野良としてのプライドはどこへ行ったのやら、仲介してくれるよう野良たぬきは懇願したのです。
しかしそこに“これまでごめんし”といった態度を改める言葉はありませんでした。
厚かましい野良たぬきの提案に、犬たぬきはふぅ、とため息をつくと。
こともなげに言いました。
「犬であるわたしにそこまでの権限はないし…所詮犬だし…」
「で、でもでもし…家族として扱われてるんだし…？」
「犬は家の中では最下層に位置するし…意見なんておこがましいし…」
とりつく島もないといった様子で、犬たぬきは身体を下ろし、小屋の中で伏せってしまいました。


「犬の生活は気楽なだけではないし…誰よりも自分をずっと騙し続けるんだし」
たぬきの本能を抑え込んで生きてるから、ストレスで抜け毛もすごいんだし。
本当は踊りたいし。
モチモチしたいし。
全部をがまんして、わたしは今の生活を手に入れているんだし。
生半可な覚悟じゃ、務まらないんだし。
こいつは、わたしの覚悟も苦悩も知らないで犬生活を羨ましがってるし。
そのせいで子供を死なせちゃったし。
わたしは犬だから、ちびを育てることは許されていないんだし。
だから、見ててイライラするんだし。
再び、ふぅ…と息を吐き、犬たぬきは思いの丈を飲み込みました。
「わたしも時々、元のたぬきらしい生活に憧れる事はあるし…」
「そうなのかし…？」
意外そうに、野良たぬきは驚きました。
「もう戻れないから、羨ましいと思うだけなのかもしれないし…」
みすぼらしくても、二本の足で立っている野良たぬき。
つい、過去の自分と重ねてしまいます。


ここに勝機ありと睨んだ野良たぬきは、思い切ってさらに踏み込んでみました。
「じゃ、お互いの立場を交換するし…？」
「イヤに決まってるし…頭たぬきかし…」
わかりきっていた答えでした。
「その通りたぬきだし…でも…」
いつもと違ったのは、野良たぬきの往生際の悪さでした。
「たぬきも犬になるし…！どこかでやさしい飼い主に拾ってもらうんだし…！」
子供を全て亡くしてようやく、野良たぬきは決意しました。
もう失うものは何もありません。
プライドにこだわっていた今までの自分をかなぐり捨てて、犬たぬきの真似を始めることにしました。
野良たぬきにとっては一世一代の大決心ですが、犬たぬきは心底どうでもいいと思っていたので、
「好きにするし…」
と興味なさげに丸まって寝てしまいました。
「じゃ…たぬきは行くし…ばいばいし…」
野良たぬきの面持ちからは本気が窺えて、今生の別れかもしれない。
と、見せかけて明日もどうせ来るんだろし。
手を振って去っていく野良たぬきに、犬たぬきは丸まったまま、しっぽを何回か適当に振り返して答えました。


「わんわんし…わんわんし…！拾ってくださいし…！」
野良たぬきは四つん這いでゴワゴワのしっぽを振りながら
道行く人に呼びかけ、無視され続けていました。
「たぬきは、犬をやれますし…わんわんし…！」
状況も考えず、ただただ先駆たぬの形だけをなぞって、野良たぬきは下手くそな犬アピールを続けました。
そもそも普通にたぬきとして拾ってもらえばいいのですが、何故か犬に固執してしまっていました。
これまでたぬきとしてやって来たから上手くいかなかったんだし。
“犬をやれるたぬき”なら珍しくて誰か手を差し伸べてくれるかもしれないし。
そんな、たぬきにしか訳の分からない勝算めいたものがあったのでした。
1人の人間が“ちょうど犬欲しかったんだよね”と立ち止まった時、その考えは確信に変わりました。
「わ、わんわんし！たぬきは犬をやれますし！わんわんしぃ！」



連れて行かれたのは、この辺りで1番の豪邸でした。
「豪華なおうちだし…！さぞごちそうが出てくるに違いないし…！」
期待感にたぬきの胸は膨らみ、声の調子も良くなります。
「ちびも生きてたら連れてきてあげられたのにし…」
ですが、死んでいった我が子を思うと、ションボリも止まりませんでした。


ここがお前の家だよと言われた先に広がる
庭園を目にして、野良たぬきは大喜びでしっぽを振りました。
すごいし。
広いし。
どれだけ走り回っても良さそうだし。
うどんダンスだって踊り放題だし。
と、喜びに浸っていると。
ガチャリ。
金属製の何かが、装着されました。
「…し？」
当たり前のように、野良たぬきは犬用の首輪を嵌められてしまいました。


「はっはっし…早く…食べたいし…！」
犬用の皿にとはいえ、想像通りの豪華なご馳走が盛られています。
ただ一つ、問題がありました。
たぬきの首輪は、庭に固定された杭と鎖でガッチリ繋がれていました。
そして、元野良たぬきが前足を伸ばしてもギリギリ届かない距離に餌の皿が置かれています。
食べようと近づけば近づくほど、首輪が絞まる仕組みでした。
どう頑張っても、後ちょっとで届かず、息ができなくなり諦めてしまいます。
よって、元野良たぬきはもう何日もご飯を食べられていませんでした。


豪邸の中にある庭園は、他の人間の目から遠ざけるための空間でしかありません。
庭園が元野良たぬきの家と言われても、首輪を繋げた杭を中心に鎖が届く範囲しか動けませんし、
あの犬たぬきのように専用の犬小屋があるわけでもありません。
これでは野ざらしと一緒です。
お風呂にも一度だって入れてもらった事はなく、雨が降ろうと風が吹こうと、決して中には入れてもらえませんでした。
橋の下や木陰に移動できた分、野良時代の方がマシだったかもしれないと、元野良たぬきは考えてしまいました。
「話がちがうし…どうなってるし…？」


飼い主が姿を見せるたび、元野良たぬきは必死になってアピールの為に吠え続けました。
“こっち！こっちですし！たぬきにご飯くださいし！”
「わんわんし！わんわんし！わんわｹﾞﾌﾞｩｯ」
“し”はいらないと、先の尖った靴で、鼻先を勢いよく蹴飛ばされ、元野良たぬきは鼻を赤く濡らし涙を流しながらジタバタを繰り返しました。

「無理だし…たぬきはやっぱりたぬｷﾞｭﾍﾞｯ」
訂正も受け入れてもらえず、やめたいと思っても解放してもらえませんでした。


「犬になりたいなんて、このたぬきおもしろいし…ししし！」
「ふつうに飼ってって言えば良かったのにし！」
先にこの家で飼われているたぬき達には馬鹿にされてしまいました。
話が違うし。ならわたしも普通に飼ってし。


「ほら、死んでる虫だし！」
「ゲジゲジきもいし！食べるし！」
「やっやだし…仲間なのにひどいし…！」
「…？おまえ、犬だし？」
「たぬき達は、たぬきだし！」
「…しぃいいい！」
その上、飼い主に許可を取ってから同族に遊ばれていました。
いいえーーー元野良たぬきは犬として飼われているので、仲間意識すら持たれていません。


「もしゃもしゃし…ごくんし…ひっ！？わ、わんわんしｹﾞﾌﾞｧｯ」
仕方なく中庭の芝生を食べたりしていたら、庭を荒らすなと飼い主に蹴られてションボリしていると。
今度は犬たぬきの届く距離に、飼いたぬき達によって、３つの皿が等間隔に並べられました。
傍目には違いは見受けられません。強いていうなら、真ん中が1番量が多そうです。
今まで我慢してきた分、という事なのでしょうか。
真意を計りかねて、元野良たぬきは飼いたぬき達に尋ねました。
「わんわんし…食べていいし？」
「しゃべるなし！」
「おまえ犬だろし！」
「ギュブ！いたい！いたいし！」
飼いたぬき達に蹴られたり叩かれたりしながら、涙目で犬の鳴き真似に戻ります。
「…わんし…」
「それでいいし！」
「手間かけさせんなし！」


気を取り直して、飼いたぬきの大きい方が説明します。
「犬なら嗅覚いいはずだし…どれが正解か当ててみるし！」
「３つのうちのアタリは高級ドッグフードだし！」
「わんし…？」
たぬフードじゃないんだし？
じゃあハズレは何だし？
聞きたいことは山ほどありますが、また言葉を喋ると叩かれてしまうので、元野良たぬきは黙って聞いていました。


「犬らしく匂いを嗅いで当てるし！」
「選んだやつだけ食べていいし！さぁ、やるし！」
何はともあれ、やっとご飯にありつける。元野良たぬきは必死になって匂いを嗅ぎ分けました。
「クンクンし…クンクンし…」
３つの皿を嗅ぎくらべ、腐っていないか確認します。
しかし、何度も鼻先を蹴飛ばされているために元野良たぬきの嗅覚は上手く働いていませんでした。
それでも、犬らしく振る舞う事でしかこの家では許されない元野良たぬきは何とか選びきるしかありません。
ドッグフードは前に犬たぬきにもらったやつしか食べた事がないからよくわからないけど、これが1番美味しそうだし。
「わんわんし！」
真ん中の、1番多めに盛られていそうな皿の前で吠えました。
「それにするんだし？」
「選び直しは出来ないけどいいし？いいし？」
「わんし…」
元野良たぬきが小さく鳴いて頷くと、飼いたぬき同士顔を合わせて微笑みます。
「じゃ、食べていいし！」
「存分に食べてし！」


「がつがつし！もぐもぐし！おいしいし！わんわんし！ウウウ…わんわんし！」
やっとまともな食事にありつけたと、若干泣きながら顔を突っ込んで山盛りのドッグフードに食らいついた元野良たぬきでしたが、
飼いたぬき達はその必死な様子をドン引きしながら見守っていました。


食事を終えた元野良たぬきはゲフーと息を吐き、前足を使って口元を拭います。
どれぐらい振りかの満足な食事に、何となく心があたたまった気がしました。
「おめでとうし！」
「ちなみに今食べ終わったそれだけどし…ぷぷ…」
この2人も、結構やさしいところあるし。
でも何で笑ってるんだし？
もったいぶってお尻をフリフリする飼いたぬきに、元野良たぬきは眉間に皺を寄せて怪訝そうな表情を隠しません。
ハズレだし？でも味はふつうに美味しかったし。
「下剤入りだし！」
「うけるしー！」
2人で大笑いしながらジタバタする様を見て、ようやく意味を理解しました。
「えっ…し…わんし…？」


お腹のたぬきがゴロゴロと呻きだし、強烈な痛みと便意が元野良たぬきの下腹部を襲いました。
「わっ、わんわんし！？」
助けを求めようとしても、結末を予想している飼いたぬき達は少し遠くに離れていました。
「がんばるしぃぃーーー！」
「応援してるしーー！しし！」
ギュルルルル！とお腹のたぬきがもどきに変わってしまったのも束の間、
汚い破裂音と共に、元野良たぬきのお尻からは土石流のごとく下痢状の糞が噴出、できませんでした。
ずっと四つん這いだった為、パンツを下ろすために腕を動かすのが間に合わなかったのです。
パンツは全てを受け止めきれず、生地の内側と下半身の隙間から飛び出した下痢便が、後ろ足やしっぽ、周りの芝生を盛大に汚しました。


「ぐすっ…し…ひっく…し…」
子供を育てる程の年齢になったのに、他ぬきの前で漏らしてしまった恥ずかしさと、
ずっと履いてきたパンツが使い物にならなくなった悲しさで、元野良たぬきは顔を伏せて泣き続けました。

「くさいし！汚いし！」
「たぬき、ご主人さま呼んでくるしー！」
鼻を摘んであからさまに嫌そうな顔をする飼いたぬきと、駆け出してしまった飼いたぬきのどちらも気にかける余裕はありません。


飼いたぬきに呼ばれて姿を現した飼い主は、表情を変えずに元野良たぬきとその周囲の惨状を見下ろしました。
その下痢便を処理するまで近づかないし、何も与えないと告げて、家の中へと行ってしまいました。
「あっわん…し…わんわん…し…」
“あっ待ってし”と言いたかったのですが、再び鼻先を蹴られる恐怖からどっちつかずの発言しか出来ず、たぬきはその後ろ姿を見送るしかありませんでした。


こうして、犬になった元野良たぬきはというと。
「アイツのせいだし…アイツのせいで、たぬきは犬のフリなんかしなくちゃならないんだし…！」
犬らしくも、たぬきらしくも生きられず。
自分で選んだ道を、あの犬たぬきのせいにしながら、死ぬまで他ぬきを呪い続けましたとさ。

オワリ



「ポチのその後」


件の犬たぬきはというと、いつの間にか来なくなった野良たぬきは野生に還ったのだと思い、自分は果たしてこれで良かったのかと疑念を抱きながらきっちり犬の平均寿命15年を生き抜きました。
5年も生きれば長生きとされるたぬきとしては大往生でした。
ただし、犬としてもたぬきとしても子を持つ事は出来ず、たまに帰省するだけの“としくん”は仕事で死に目に立ち会うことも出来ませんでした。
“としくん”は犬たぬきが死ぬ半年前に一度だけ、家族から弱ってきたと教えられ土日を利用して帰り、
犬たぬきを散歩に連れて行った先で、写真を撮りました。
その時の写真が、供養の際の遺影として使われています。
ションボリしながら、四つん這いの姿勢でこちらを見上げ、パンツをずらして片足を上げている写真でした。
家族以外にはまるで意味のわからない代物でしたので、家に飾られることはなく、アルバムにファイリングされて押し入れの中に仕舞われています。


ちなみに、結果として“としくん”より長く犬たぬきと接していたので、
ペットロスに陥った両親は後日ペットショップに向かいーーーたぬきコーナーへは行かずーーー普通にサモエドを飼いました。


オワリ
